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武蔵野うどん - 東京 国分寺「甚五郎」

東京 国分寺、昭和レトロな外観・内観が印象的な「甚五郎」さんで武蔵野うどんをいただきました!

メニューには「つけ麺」とあり、いろいろ選べるつけ汁には冷たい田舎つけ汁を選んでみます。

 

そして、国分寺市付近のうどんの歴史を確かめてみましょう。

 

今回のポイントはこちら。

 ☑ 昭和レトロな雰囲気のお店で武蔵野うどんをガッツリといただきました!

 ☑ 国分寺市・府中市では1600年代のうどんの記録が見つかりました!

駅近なアクセス

東京・新宿からJR中央線で西へ30分強。

国分寺駅の北口を西向きに出て、北へ徒歩およそ2,3分のところにお店はあります。

徒歩で十分便利でしょう。

”懐かしい味”がテーマの外観・内観

お店に近づくと壁一面に貼られた懐古的なホーロー看板が目に留まり、レトロな印象を受けます。

 

店内は、波打つトタン板に多数の古時計と外観同様のホーロー看板がかかっており、賑やかです。

うどん・そば屋には珍しい造作で、”懐かしい味”がコンセプトになっているような感じですね!

 

では、暖簾をくぐってみます。

1階は、2人掛け・4人掛けのテーブル席のほか、壁に向かうカウンターが6席ほどあり、2階は座敷になっているようです。 

ガッツリ食べる武蔵野うどん

メニューのメインは「つけ麺」となっていて、まずつけ汁を選びます。

冷たいつけ汁は「冷やしごまだれ」、「田舎」から。

また温かいつけ汁は「肉づけ」、「鴨汁」、「ラムづけ」から。

え!? ラム肉でうどん!?٩(๑´0`๑)۶ 

 

そして、麺にはうどん、そば、両方の合盛りから選べます。

うどんもそばも両方食べられるなんて贅沢です!٩(๑´0`๑)۶ 

 

さらにはトロロをつけたり、量を変えたりして、ボクの・ワタシのつけ麺にできるのですね!

ちなみに普通で量がしっかりあるので、お腹の事情に合わせて量を加減するのが良いと思います。

  

他にも、かけ・ぶっかけ系の変わり種メニューがあり、カレー汁や激辛汁などいろいろ楽しめそうです。

 

では、今回は武蔵野うどんらしさを期待して、冷たいつけ汁の「田舎」をオーダーしてみます。

待つこと10分で一皿の登場です。

麺は平たく、しっかりした幅でムラもあることから、手打ちうどんといった感が漂います。

また、色がややくすんでいて、小麦粉の使い方にこだわりが感じられます。

頬張ってみます。

まず、口あたりはナチュラルな滑らかさです。

そして、麺の切りムラとともに食感のバラツキが感じられます。

しっかりした噛み応えがあるのでワイルドに食べている感覚があります。

弾力よりも硬さを感じる食感なので、小麦粉には農林61号が使われている印象です。

  

また、麺にはしっかりとしたシンプルな小麦粉の風味を感じることができます。 

「田舎」のつけ汁を麺と共にすすってみると、まず醤油、次に肉つけ汁のパンチが来ます。

ジャンクなつけ麺を食べている感覚があります。

 

それでいて、ネギやキュウリなど具が、お店のホーロー看板や古時計のように賑やかに入っているのは嬉しいポイントですね!(๑˃̵ᴗ˂̵)و 

 

昭和レトロな雰囲気が漂う店内で、楽しくおうどんをいただくことができました。

ごちそうさまでした!٩(๑❛ᴗ❛๑)۶


江戸時代に登場する国分寺市周辺のうどん

今回は国分寺市周辺として、府中市、国立市あたりの武蔵野うどんの歴史を見てみましょう。٩(ˊᗜˋ*)و

●府中には1600年代の終わりごろに”けんどんや”があった

国分寺市周辺に関係する史料を調べたところ、府中市矢島茂雄家文書「国分寺村名主八郎右衛門我儘ニ付訴状」に「けんどんや」といった記載が見られました。

  

この訴状は1697(元禄10)年のもので、国分寺村の農民たちが名主・八郎右衛門の「我儘」な行為により、次のような不利益を被っていると訴えています。

  1. 名主が水車を勝手に設置して水を流し続けるために、田畑が冷えて農民が困っていること。
  2. 名主が御林の枝木を、自分の水車と府中に出しているけんどんやの燃料として、独り占めにしていること。 

この内容は、名主をよく思わない農民の感情から訴状として書かれているものですので注意が必要と思いますが、どうやら1697(元禄10)年に国分寺の名主が府中でけんどんやを営業していた事実があったようです。

 

ちなみに、このような農民が利害で対立する地主や役人を領主へ訴え出る行動は、江戸時代に相次いで起こり、"村方騒動"と呼ばれています。

どうやら戦国時代が終わって平和が広がるものの、飢饉に見舞われたりしながら開拓・開発が進んでいたところで、裕福な層と一般の農民との貧富の格差が明確になり、不満が噴出し始めた時代を反映しているように感じられます。

●府中には他にもけんどん屋があった!?

もう一冊。

2001年、府中郷土の森博物館「府中市郷土の森博物館 ブックレット1 甲州街道 府中宿 府中宿再訪展図録 改訂」を見てみます。

 

この「宿場の商売」では、「府中三町の商売 天保12年(1841) 職業調査」の表が掲載されており、うどんに関する最も古いところでは次のような内容が見られます。

  • ☆百姓★村役人
  • 1684 天和4年 豊助 茶屋旅籠屋 昼は温飩蕎麦一膳飯商 新宿 ☆
  • 1725 享保10年 甚五左衛門 茶屋旅籠屋 昼は温飩蕎麦一膳飯商 番場 ★
  • 1764 明和元年 半兵衛 茶屋旅籠屋 昼は温飩蕎麦一膳飯商 番場 ☆

昼間だけ、うどんや蕎麦の一膳飯を売るお店があったようです。

そして百姓の店だったようですので、農間渡世として茶屋旅籠屋兼温飩蕎麦一膳商が営まれていたようです。

 

しかし、どのように調査した情報なのかが見られません。

これが事実であればけんどん屋にあたるお店だろうと思いますが、この史料については次のようにまとめたいと思います。

「府中三町の商売 天保12年(1841) 職業調査」では、1684年に府中新宿で温飩蕎麦一膳飯商があった、する記録が1841年に作成されているものの、当初の業態や業種、正確な営業年や呼称については、その確かさがどのように確認されたものなのかはよくわからない。

●"けんどんや"でぼやける"うどん"の記録

「けんどんや」とは何なのでしょうか。

 

三省堂「大辞林 第三版」を調べると、「慳貪・倹飩」(けんどん)を次のように説明しています。

  • 「近世、うどん・そば・酒・飯などを、一杯の盛り切りで、代わりを出さないもの。」

江戸時代(近世)にはそうしたことに名をつける意味があったわけですから、以前からお代わりが出されていた店、もしくはお代わりがいらないほど多く出されていた店があった、ということなのでしょうか。

  

また、本ブログでは、"うどん"が提供されていたのかが気になるところですが、辞書の記載だけではそのあたりがよくわかりません。

 

そんな謎が残りますので、追加で史料を確認して、改めての機会に「けんどんや」を取り上げてみたいと思います。٩(•ᴗ• ٩)

●府中には1700年代にもうどんの記録がある

続いて府中市の史料を調べたところ、府中市郷土の森 編 「府中市郷土資料集10 六所宮神主日記」が見つかりました。

この日記は、府中の大國魂神社の神主さんが3代に渡って書き残したものです。

タイトルが六所宮となっているのは、かつて武蔵総社六所宮と呼ばれている時代があったためです。

 

その猿渡盛房氏が1778年~1794年に記した中に「うとん」の表現を4か所ほどで見つけることができ、「そうめん」「ひやむき」「そは」「そはこ」など麺類と思われる記載が見られます。

抜粋すると次のような内容です。

  • 安永八年五月朔日  「一 御鏡下ル、御幣祓幣箱ニ入御膳番へ渡ス、御行燈下ル、利右衛門御駒触廻ル、今日ゟ御駒之者潔斎、野口うとん兵左右衛門そは」
              「一 かや来ル馬弐疋也、昼そは酒也」
  • 安永九年五月朔日  「一 そは兵左衛門うとん野口」
  • 天明二年四月廿七日 「一 兵(カ)左衛門(そカ)は野口うとん二ツニ」
  • 天明三年五月二日  「一 御札昼うとん夜神馬悪敷故引替ニ遣ス」

まず、うどんと思われる表現については、そばと区別して書かれているようですね。

 

次に、これらの記載の日付は5月の頭前後に集中している点が気になります。

現在の大國魂神社では通称「くらやみ祭り」と呼ばれる例大祭が行われる時期にあたり、一連の神事が行われるとともに、巨大な和太鼓と神輿が出る大きなお祭りがあります。

さかのぼって安永八年五月の記載をみてみると、「御鏡」「御旅所」や「仮屋」といった神事に関わる記載が見られ、「祭礼中」ともありますので、くらやみ祭りの元となっている祭事が行われていたようです。

こうした祭礼中に記載に繰り返し見られる「野口」は、野口仮屋の儀に関係する野口家の人物なのかなと推測されます。

他方、「兵左衛門」については、神輿守など六所宮の関係者なのかなと想像は広がるのですが、どのような人物なのかを知る記載を見つけることができませんでした。

これらのことから、うどんやそばが関係している日は前後していますので、神事や儀式そのものというよりは、どうも祭礼に関わる人との集まりの場に登場していたようだ、と解釈したいと思います。

 

また日記には「昼きなこ餅」「朝ほた餅三升昼ひや麦」「朝赤飯」「昼そは」「晩茶漬 ひしき 焼きとうふ」といった記載があり、「昼うとん」についてはおよそうどんが食べられていたと見られるのですが、それでも個々の記載については、どのようなうどんをどのように扱っていたのか実際のところはなんともよくわからない、ということになるかと思います。

 

うどんは果たしてお店で食べるものだったのでしょうか。
それとも神社で手作りされていたのでしょうか。

あるいはもらっていたのでしょうか。

今後の史料の発見を楽しみにしたいと思います。

なお、国立市について調べた範囲では、うどんについての記載を見つけることができませんでした。

●武蔵野のうどんの歴史は1600年代の後半へさかのぼる!?

本ブログでは武蔵村山市付近の記事と、武蔵野市付近の記事で、現在の多摩地方でうどんの記録が見られる年代を1800年代から1700年代へと繰り上げてきました。

 

今回、府中市付近でも同様に1700年代にはうどんと書かれた記録があり、けんどん屋があったことからすると、1600年代の終わりにも食べられていたのではないか、ということを確認することができました。 

「多摩地方のうどんの記録」
「多摩地方のうどんの記録」

けやきの大木に迫力を感じる大國魂神社

●武蔵野のうどんの歴史は1600年代の後半へさかのぼる!?

さてJR武蔵野線・南武線の府中本町駅で下車し、大國魂神社へ寄り道してみます。

JR中央線・国分寺駅からですと、1つ西の西国分寺駅で武蔵野線に乗り換えることができます。

また、京王線・府中駅からも徒歩圏内です。

鉄道で十分に近いでしょう。

 

参道には馬場大門ケヤキ並木があり、中には大木もみられます。

樹齢が600年を超えるといわれ、驚異的です。

また正面の参道のみならず、周辺を散策すると西側にもひっそりと大木が立っています。

参道を正面から進んでみます。

左手に宮乃咩神社(みやのめじんじゃ)のひしゃくが目に留まります。

演芸の神、安産の神様としてお参りし、穴が開いたひしゃくに願いが託されているようです。

また、参道から本殿に向かって右手には、「ふるさと府中歴史館」が立っています。

その1階には、今回は触れなかった国府だったころの府中の歴史や土器の展示が見られます。

また2階には公文書資料室があり、本ブログで紹介した「六所宮神主日記」の活字になったものを見ることができます。

 

府中の歴史については、かなり南側に離れていますが、合わせて「府中の森博物館」を立ち寄ることをおすすめします。

こちらの博物館で「六所宮神主日記」や府中市郷土の森博物館「府中市郷土の森博物館 ブックレット1 甲州街道 府中宿」も購入することができました。

 

中雀門から拝殿へと進み、お参りしてみます。

実はこの拝殿の裏側にある、一般にはお目にかかれない本殿は1667(寛文7)年築なのだそうです。

これまでに「六所宮神主日記」で確認した猿渡盛房氏の日記は1778年~1794年でしたので、「うとん」と書いた猿渡盛房氏がみたものと同じ本殿が残っている、ということになります。

なんだかさまざま凄いですねぇ。

そして緑の中でお参りするとすがすがしい気分になりますね。(*˘ᵕ˘*)੭ 

 

 長くなりました。

けんどん屋の深堀を宿題に残し、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

さて次のお店へ行ってみましょう~。

謝辞 史料の読み方について、貴重なお時間をいただいて読み方についてのお話をいただきました「府中市史編纂委員会」の方々に、感謝いたします。 

お出口リンク

記事店舗

 

周辺観光


資料: 

府中市郷土の森博物館「府中市郷土の森博物館 ブックレット1 甲州街道 府中宿」
「府中三町の商売 天保12年(1841) 職業調査」(抜粋)

  • ☆百姓★村役人
  • 1684 天和4年 豊助 茶屋旅籠屋 昼は温飩蕎麦一膳飯商 新宿 ☆
  • 1725 享保10年 甚五左衛門 茶屋旅籠屋 昼は温飩蕎麦一膳飯商 番場 ★
  • 1764 明和元年 半兵衛 茶屋旅籠屋 昼は温飩蕎麦一膳飯商 番場 ☆

 府中市郷土の森 編 「府中市郷土資料集10 六所宮神主日記」

  • 安永八年五月朔日  「一 御鏡下ル、御幣祓幣箱ニ入御膳番へ渡ス、御行燈下ル、利右衛門御駒触廻ル、今日ゟ御駒之者潔斎、野口うとん兵左右衛門そは」
              「一 かや来ル馬弐疋也、昼そは酒也」
  • 安永九年五月朔日  「一 そは兵左衛門うとん野口」
  • 天明二年四月廿七日 「一 兵(カ)左衛門(そカ)は野口うとん二ツニ」
  • 天明三年五月二日  「一 御札昼うとん夜神馬悪敷故引替ニ遣ス」

三省堂「大辞林 第三版」

  • 「慳貪・倹飩」(けんどん)
    近世、うどん・そば・酒・飯などを、一杯の盛り切りで、代わりを出さないもの。

 

 今回は現代文になった書物をみていますので、機会があれば原文も確認しておきたいところです。


調査文献: 

  1. 府中市史編纂委員会「府中市史」上巻
  2. 府中市史編纂委員会「府中市史」中巻
  3. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」1
  4. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」2
  5. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」3
  6. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」4
  7. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」5
  8. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」6
  9. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」7
  10. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」8
  11. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」9
  12. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」10
  13. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」11
  14. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」12
  15. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」13
  16. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」14
  17. 府中市史編纂委員会「府中市史 史料集」15
  18. 府中市郷土の森 編 「府中市郷土資料集10 六所宮神主日記」
  19. 府中市郷土の森博物館「府中市郷土の森博物館 ブックレット1 甲州街道 府中宿」
  20. 府中市郷土の森博物館「府中市郷土の森博物館 ブックレット20 新版 武蔵府中 くらやみ祭」
  21. 2002(平成14)年, 桜井信夫「大國魂神社の歳時記」
  22. 国分寺市史編さん委員会編「国分寺市史」上巻
  23. 国分寺市史編さん委員会編「国分寺市史」中巻
  24. 国分寺市史編さん委員会編「国分寺市の民俗」一
  25. 国分寺市史編さん委員会編「国分寺市の民俗」二
  26. 国分寺市史編さん委員会編「国分寺市の民俗」三
  27. 国分寺市史編さん委員会編「国分寺市の民俗」四
  28. 国分寺市史編さん委員会編「国分寺市の民俗」五
  29. 国分寺市史編さん委員会編「国分寺市の民俗」六
  30. 国分寺市「国分寺市資料集 1(村落状況・支配関係文書)」
  31. 国分寺市「国分寺市資料集 2(武蔵の新田開発関係文書・川崎平右衛門関係文書)」
  32. 国立市史編さん委員会編「国立市史」中巻