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手打ちうどん - 東京 西立川「手打ち蕎麦 萱草庵(かんぞうあん)」

東京 立川・「手打ち蕎麦 萱草庵(かんぞうあん)」さんを訪ねました。

またしてもお蕎麦屋さんではありますが、もちろん酒肴と〆の手打うどんをいただきました。

 

そして、立川市付近のうどんの歴史を確かめてみましょう。

 

今回のポイントはこちら。

 ☑ 手打ちの十割蕎麦も出される立川「萱草庵」さんで、〆に手打うどんをいただきました!

 

 ☑ 「萱草庵」さんで、横田小蕎麦も美味しくいただきました!

 ☑ 立川市、昭島市、東大和市周辺では江戸時代後期の1700年後半には小麦が作られ、また1800年代にはうどん、干しうどん、そば、素麺が香典の物品として扱われていたことを確認できました!

広大な国営昭和記念公園に近いアクセス

お店は、JR青梅線/五日市線・西立川駅の南口から徒歩5分ほどの場所にあります。

JR中央線・南武線 立川駅北口から出ているバスを利用することもできますが、遠方から訪ねる場合は鉄道で十分に便利でしょう。(2019.4現在)

西立川駅の北側には国営昭和記念公園が広がっており、駅を降りて歩いてみますとお店がある南手は人通りが少ない静かな町といった印象でした。

 お店はマンションの1階で、オレンジ色の暖簾がかかっているのが目印になります。

入口に向かって右手にある麺打ち場も目に留まりますが、シンプルなガラス越しに中の様子がうかがえ、和モダンな印象を受けます。 

 そして店内も白い壁と、テーブル、椅子と洒落た照明機器のそれぞれが木製で、和ながらモダンな雰囲気があります。

座席は夜に伺いますと大テーブルの6人席と2人掛けのテーブル席を組み合わせた4人席で構成されていました。

カウンター席が見られませんので、複数人で訪ねたいところです。

 

ところで、「萱草(かんぞう)」という言葉は草花の名前なのだそうです。

調べてみますと、あまりの花の美しさに嫌な事を忘れてしまうことから通称"ワスレグサ"とも呼ばれるそうで、その花言葉に"理想郷"があると言われています。

奥深さを感じる花言葉ですね。

そしてどうやら、お店の オレンジ色の暖簾はこの萱草の花の色に由来しているようですね。

飲める手打蕎麦屋で〆にうどんを楽しむ

ドリンクメニューには純米酒が並んでおり、ふと店内を見渡すとお酒の冷蔵ショーケースが客席に向かって立っているのが目に留まります。

・・・1杯目からお酒、で決まりです。٩(ˊᗜˋ*)و 

 赤武・純米吟醸をいただきます。

酒肴を何品か楽しんでみましょう
「ニシンの棒煮」と「エビの湯葉巻き」 をオーダーしました。

続いて「砂ずりのたれ焼き」 。

僭越ながら、手打の十割蕎麦屋で「せいろうどん」をオーダーさせていただきます。

 

ゆで時間がしばらく経ってから平打ちの白いお温飩が登場します。

「うどんは待つのが美味しいんや」と、あるお客さんの言葉を思い出します。

アップでもわかるでしょうか。

この麺のつや。

表面が滑らかで、ゆで上げた後の洗いがされていることがわかります。

そして麺の張りも見られます。

もう美味しさが伝わってきますよね。

頬張ってみると、むちっとした食感とやや硬さを感じる食感があり、薄めながらも小麦のしっかりした美味しい風味が感じられます。

また、つけつゆも節の風味がしっかりあります。

美味しいおうどんですね!

 

はっ(๑º ⌓ º๑)!! また、そば屋でうどんを楽しんでしまった・・・

予約で横田小蕎麦の風味を楽しむ

ところで、萱草庵さんのホームページを背景すると、ちょうど横田小蕎麦が入荷されているとのことでした。

 

横田小蕎麦は、小粒の、島根・奥出雲の在来種の蕎麦です。

収量が少ないため毎年いつでもいただけるものではなく、食べられる機会は貴重なものです。

 

予約が必要ですので、事前にお店に予約を入れ、日を改めていただいてみます。

「天盛り」のそばを横田小蕎麦でお願いしました。

しっかりした色ですね。

頬張ってみますと、細く滑らかな食感です。

また、少しだけ小麦粉を配合されているようですが、お蕎麦の美味しい風味があり、その後に弱い小麦の風味が感じられます。

そして、つけつゆも節の風味がしっかり感じられます。

試しにおそばをつけつゆにどっぷりとつけてみるのですが、お蕎麦の風味が感じられるのは驚きです。

 

そばの美味しい風味がしっかりあるしなやかなお蕎麦で、美味しくいただきました!

 

このお蕎麦ですと食べ比べも楽しいように思います。

予約を夜にして、お酒と肴を何品かいただき、〆に味比べで通常のお蕎麦と横田小蕎麦を少しづつ量を少なめで順番にいただく、といった流れを組むのも良さそうですね。

 

ごちそうさまでした!٩(ˊᗜˋ*)و

立川・国営昭和記念公園を花の季節に歩く

お店から、JRの線路を超えた北側には広大な国営昭和記念公園があります。

立川駅からも訪ねることはできますが、西立川の駅からが近い公園です。

 

この昭和記念公園では特に4月の前半から中旬にかけて、チューリップなどの多種の花を楽しむことができます。

ぶらりと歩いてみましょう。

空が広い、広大な景色が穏やかな雰囲気を感じさせます。


花の周りには人々もあつまって、写真を撮ったりしながら楽しんでいます。

随分と昔のテレビCMで見たような大きな樹の緑も美しい季節ですね。

ボートで水辺を楽んだり、売店がいくつもあるので買い食いも楽しい公園です。

公園の奥にはチューリップ畑が見られました。

 

広い敷地は自転車をレンタルして移動するのも良いですね。

みなさんも立川でお買い物を楽しんだり、花の季節に昭和記念公園を楽しみ、そして「萱草庵(かんぞうあん)」さんでお食事をされてはいかがでしょうか。(๑˃̵ᴗ˂̵)و


立川市, 昭島市, 東大和市のうどんの歴史を調べてみる

さて、そんな立川周辺には、どのようなうどんの歴史があるのでしょうか?

付近の武蔵村山市については以前の記事に書きましたので、今回は立川市、昭島市、東大和市のうどんの歴史を調べ、まとめてみたいと思います。

●うどん、干しうどん、そば、そうめんが江戸時代後期の記録に見られる

まず立川市について見てみます。

「砂川の歴史」によると、1750(寛延3)年「村差出明細帳」や1784(天明4)年「村鑑帳」に、"小麦"や"そば"を作付けしている記録が見られます。

また、「諏訪神社所蔵古文書 第四集 神社造営関係文書その1」では、1800年代に香典の物品として"うどん"、"うんとん"、"ほしうどん"、"そば"、"そうめん"といった言葉が見られます。

  

次に昭島市について見てみます。

「昭島市史 附編」によると、1754(享保5)年と1746(延享3)年の「上川原村明細帳」に、"小麦"を作付けしている記録が見られます。

また、「中神村中町家 近代織物仲買関係史料集」では、1804(文政元)年「八王子市場一件控 寅五月吉日」に「酒・冷麦等御馳走ニ被成候」とあり、1838(天保9)年4月「中野久次郎合則葬儀香典帳・小遣帳」に香典の物品として"素麺"、"そうめん"といった言葉が見られます。

 

はい、さらに東大和市について見てみます。

「里正日誌 第七巻 自 安政元年 至 安政六年」では1800年代の後半に、"小麦"を作ろうとしていたことや、"温飩粉"、"小麦粉"の取り扱いと、"水車"が設置されていたことが見られます。

小麦の生産は行われているようですし、水車があって粉の取り扱いも見られるので製粉もされていたようには見えますが、そうした明確な記録は見られませんでした。

 

まとめると、立川市周辺では1750年頃には砂川村で、1754年には上川原村で小麦が作付けされていたようです。

その後、1800年代後半には東大和周辺に水車もあり、温飩粉・小麦粉の取り扱いがあったことが見られ、またうどん、干しうどん、そば、そうめんが香典の物品として贈られていたことがわかりました。

これらのことから遅くとも江戸時代の後期には、そうした麺類が食べられていたのではないか、といったことは合理的に考えられるのですが、いずれの史料でもどのように麺類を作ったり食べていたのかといった実態は明らかではなく、我々が知っているうどんやそばと同じものを作って食べていたかは本当のところはよくわからない、ということになるようです。

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周辺観光


資料:

「砂川の歴史」

  • 1750(寛延三)年「村差出明細帳」」に、小麦、そばを作付けしている旨。
  • 1784(天明四)年「村鑑帳」」に、小麦、そばを作付けしている旨。

「諏訪神社所蔵古文書 第四集 神社造営関係文書その1」

  • 1822(文政五)年十二月「文政五壬午年季冬 初生立祝加書記 牧太郎 宮本学之助 梅次郎」に「そばこ」。
  • 1832年「天保三年壬辰十一月 義房翁香典控帳 宮崎主膳」に「そうめん 斧五郎」「そうめん おやき」。
  • 1847年「弘化四年丁未年十月八日記之 香典帳 宮崎主膳」に「ほしうどんん 多十郎」。
  • 1866年「慶応弐年丙寅十二月 宮崎詮房翁香典控帳 宮崎牧太」に「うんとん そば」。
  • 1897(明治30)年「うどん一重」「そば一重」。

「中神村中町家 近代織物仲買関係史料集」

  • 1804(文政元)年 「文政元年 八王子市場一件控 寅五月吉日」
    「此節駒木野新左衛門ゟ酒・冷麦等御馳走ニ被成候」
  • 「天保九年四月 中野久次郎合則葬儀香典帳・小遣帳」
    「一素麺 一俵 砂川 市五郎」
    「一そうめん 弐わ 日の下川原 清五郎内」
    「一そうめん 俵三袋 亀次郎」

「昭島市史 附編」

  • 1754(享保5)年 「享保五年八月上川原村明細帳」 小麦の作付け
  • 1754(延享3)年 「延享三年上川原村明細帳」 小麦の作付け 

調査文献: 

  1. 立川市史編纂委員会「立川市史 下巻」
  2. 砂川町「砂川の歴史」
  3. 立川市教育委員会「諏訪神社所蔵古文書 第四集 神社造営関係文書その1」
  4. 立川市教育委員会「諏訪神社所蔵古文書 第五集 村関係文書」
  5. 立川市教育委員会「諏訪神社所蔵古文書 第六集 神領・氏子・神社経営関係文書」
  6. 立川市教育委員会「諏訪神社所蔵古文書 第七集 神社行政関係文書」
  7. 立川市教育委員会「諏訪神社所蔵古文書 第八集 秋風集ほか」
  8. 立川市教育委員会「諏訪神社所蔵古文書 第九集 家関係文書 その1 祝儀」
  9. 立川市教育委員会「諏訪神社所蔵古文書 第十集 家関係文書 その2 不祝儀」
  10. 昭島市史編さん委員会編「昭島市史」
  11. 昭島市史編さん委員会編「昭島市史 附編」
  12. 昭島市教育委員会社会教育部社会教育課編「昭島市古文書調査報告書3 中神村中町家 近代織物仲買関係史料集」
  13. 昭島市教育委員会社会教育部社会教育課編「昭島市古文書調査報告書2 築地村・並木家所蔵資料集」
  14. 東大和市史編さん委員会「東大和市史 資料編6 中世~近世からの伝言」
  15. 東大和市史編さん委員会「東大和市史 資料編7 里正日記の世界」
  16. 東大和市史編さん委員会「東大和市史 資料編10 近代を生きた人々」
  17. 東大和市教育委員会「里正日誌 第一巻 自 天正元年 至 延享四年」
  18. 東大和市教育委員会「里正日誌 第七巻 自 安政元年 至 安政六年」
  19. 東大和市教育委員会「里正日誌 第八巻 自 万延元年 至 文久三年」
  20. 東大和市教育委員会「里正日誌 第九巻 自 元治元年 至 慶応三年」
  21. 東大和市教育委員会「里正日誌 第十巻 自 明治元年 至 明治二年」